伍流の思考

- ごりゅうのしこう -

アルティメット人狼の楽しさを半減させる話。

(人狼ゲームを知らない人はググッて下さい)

アルティメット人狼とはゲームクリエイターやプロ雀士あるいは将棋棋士など人狼ゲームの熟練者が公開の場で人狼をするイベントのようだ。

見てみると非常に面白い。プレイヤーは約13人。その中に人狼が3人、占い師、狩人、霊媒師、狂人などの役職を持つ村人と、役職のない村人で構成されるのだが、みなさん頭の回転が早く論理的。見ているお客さんや動画の視聴者も、推理を楽しむ。


1つ感じたポイントは、推理も大事だがいかに説得するかは非常に大事だって点。

例えば『人は自分を信じてくれた人を信じる』・・・とかそういう心理戦の積み重ね。


だがそれ以上に何作品か見ていて感じた違和感がある。
それは知ることであなたが『人狼の面白さを半減させてしまう』発言になってしまうかもしれない。予め謝罪しておくが、それでも知りたい人は続きを読んで見て欲しい。




1:『熟練者の人狼は同士討ちを厭わない』

これが仮に現実の人狼だった場合は、仲間が殺されることに強い抵抗を感じるのだが、ゲームなので、勝つ為にはあえて仲間を疑ったりすることで自分を村人だと信じてもらうという戦略が普通におこる。

特に初期段階の投票はほとんど材料にならない。仮に人狼が人狼に投票しても、それが決定票になる可能性が少なく、それを根拠にあとで人狼疑惑を払拭するという戦略が取られる。

だが、それは論理的なはずのプレイヤーでもあえて口にしない。

と僕は思っている。

それは『それを言い出すと推理自体の楽しみが半減する』から。


それともう1つ。



2:『論理的な行動を取るはずだ』という前提に立ちすぎている。

基本的に騙し合いのゲームであり、内容は割に複雑。プレイヤーが『AでBだからCという行動を取るのはおかしい』といった推理をするのだが、もともと騙し合いで論理的な行動ばかりとること自体が非合理なワケだから、その推理の前提は最初から危うい。


もちろん、あるていど『確定的な論理』というのはあるが、1で言ったように人狼が同士討ちを厭わない。もしくは人狼が限りなく村人のように振る舞うと、占い師やらに見つかる可能性はあるが、推理だけで、人狼だと見破られることはほぼ不可能になる。

なので、初期段階で誰に投票したかとかを議論していることは熟練者にとってはあまり意味がない(けど、そいういうことは言わない) ように思う。

気になる人は同じプレイをもう1度みてもらいたい。みなさん凄く論理的で頭の良い人達なのだが、推理が当たることの方が難しい。ほぼ確定だと思っていてもハズす。それは難易度が高いことの表れでもあるのだが、論理で答えを出せていないことの表れでもある。

その現実から考えると論理は3つに分けた方がいいと思う。

1:確実な論理・・・(占い師が2人名乗りでたら1人は偽物)
2:可能性があり考慮すべき論理・・・(占い師が2人が出たら1人は本物である)
  ※2人が人狼や、1人が人狼で1人が狂人の可能性もある。
3:無視する方がいいくらいの論理・・・(最初に誰が誰を疑っていたとか)

実際には確率としては0%から100%まであるが、素人の戦いは別にして熟練者同士での戦いでは『あえて裏をかく行動を取る』ので、3無視する方が良い論理の割合は増える。

だが、実際のゲームではそういうのを考慮しすぎている。公開イベントとして『分からない』ではなりたたないという理由もあるだろう。

また人狼が同士討ちを厭わないような村人行動を取ることで『どんでん返し』が生まれ、客の満足度が高まるというのもあるだろう。

僕はプレイヤーを責めるつもりはないのだが、それでも初期段階で『人狼を疑っていた。人狼に投票していた』といったことを論拠にするのは論理的におかしいように思う。

少なくとも『人狼同士が互いに対立する構図』というのは村人らしさを演出するのに有効でわりに使われる戦術・・・であるにもかかわらず、その可能性にほとんど言及しないのは推理する上では不自然。だがそれに触れないのは『人狼の楽しさが半減するから』なのだろうと僕は思っている。


あとイベントとしての難しさは、推理が楽しいのだが、推理しても訳がわからないって状態にすると客がついてこれなくなってしまう点だろうと思う。なのでほどほどに分かりやすい論理構成が好まれる気がする。