伍流の思考

- ごりゅうのしこう -

自動走行車に運転を奪われるのか?

自動車が衝突しないようにセンサーで感知してブレーキをかける。そういった自動制御の技術は既に実用化されていてここまま行けば『近未来は自動走行車が多く走っているだろう』と言われるまでなってきた。

もし自動走行車の開発が実用レベルにまで進み、人間が運転するよりずっと正確で安全(例えば10倍)になり、しかも価格が下がり普及する段階になったとして『人が公道を運転することは禁止されるのだろうか??』


そうなるだろう。と予想している人もいるが僕は少し懐疑的にみている。


僕の見解はこうだ。少なくとも普及するようになって20年は共存するだろう。つまり自動車は運転もいままで通りできるが、自動運転に切り替えることもできる。

気になっているポイントは3つ。

1:誤作動をおこした時に運転できないと怖い。
2:保証は誰がするの。
3:運転が好きという人の権利意識。

 


1:誤作動をおこした時に運転できないと怖い。

例えば飛行機は自動操縦に切り替えることが出来る。パイロットは高度などの必要な情報を入力すれば何もしなくても飛行機は飛んで行く。ただそんな飛行機でもマニュアルで運転できるようになっている。それは機械の故障や誤作動も含めて非常時には人間が操作した方が良いと考えられているからだろう。

ただもし技術が進んで自動操縦の安全性がデータで示されたとしても、現状として『パイロットのいない飛行機には乗りたくない』と僕は考えている。それは技術が進んでも、人間の持っている『不安』を払拭させるのはそれほど簡単ではない。


次に自動走行が出来る場合に人間がどうなるのか?』を考えてみたい。

便利な機能は使いたくない。それが心理だと思う。運転のほとんどを自動走行に頼って会社への往復や長距離ドライブなど。でも運転しないってことは運転技術が落ちることにも繋がるのだから、自動走行が出来たとしても技術が落ちない程度には自分で運転してもらいたい。



2:保証は誰がするの。

利便性というのは逆にリスクを背負う部分もでてくるのが常だ。例えばもし人間が運転するのを禁止され完全に自動走行のみになった時。『事故は誰が保証するのだろう??』という問題もある。メーカー??政府?あるいは保険??・・・安全性が高まれば金銭的には保険で何とでもなりそうだけど、自動車が自動走行できるようになったところで事故は完全には防げない。かといって走っている車をすべてGPSで把握して情報を共有するといった事も安全性や利便性の向上にはつながるが悪用されるスキも作ってしまうように僕は感じている。


3:運転が好きという人の権利意識。

技術的に可能であるということが現実に出来るかは違う。

今の世の中は『運転が好き』という人も少なからずいると思うからだ。公道での運転を禁止された場合もサーキットに行ってレースをするような人は運転を楽しむことが出来るが、そんな趣味でしていなくても『普通にドライブが好きだ』という人はその何十倍もいるだろうと思う。政治的に禁止は簡単ではないと思う。

例えばアメリカでの『拳銃規制』・・・拳銃を全面禁止にした方が治安は良くなると多くが感じていたとしても、そういった法案がでても全米ライフル協会などの反対で潰されるらしい。自己防衛の為に持ちたい人だけでなく趣味で持っている人、そして拳銃の製造や販売に関わっている会社が強い力を持っている。

それとまったく同じではないが『公道の手動運転を禁止する法案』が出た場合は運転が好きな人達が反対する。走り屋系のチューナップに関わっている工場やメーカーが反対する。なので政治的にも簡単ではないと思う。


そんなワケで近未来の自動車は『自動走行も使えるがマニュアルでも走れる』に1票。ちなみに専用レーン(や区画)などで区切った上で『無人の公共用の車両』が使われることはあるだろうと思う。前半で『無人の飛行機には乗りたくない』と言ったが『無人の電車』なら乗ってもいいと思う。そんな感じ。