伍流の思考

- ごりゅうのしこう -

 2030年の予想と目指すべき道1

現在2018年。今から12年後を予測してみる。


まず大事なのは『国民が幸せであるか?』・・・それには『A:ちゃんと稼げているか?』と『B:ちゃんとサービスを受けれているか?』が大きく関係していると思う。

【前半2018-2024 は人手不足。後半2024-2030 はロボットの影響大】


◆ A:ちゃんと稼げているか?

2016年頃から日本の失業率の下落は顕著になり新卒の内定率や有効求人倍率も上がっている。アベノミクスの影響もあるが大きいのは『労働生産人口の減少(主に団塊の世代の退職による)』だと思う。【★労働者に有利な状況】それによって2017年頃からアルバイトなどの非正規を中心に賃金があがりはじめるが、この傾向は2021年頃までは続くだろうと思う。特に正社員の給料が上がる・・・上げざるを得ないって状況になり、それに連動して物価も上昇。デフレ脱却およびインフレ時代の到来(2018,2019から)

それに対して、労働生産性の低い企業は潰れたりして労働者は他の企業に吸収されたりの傾向は続くと思うが、それでも外国人労働者を受け入れることでのり切ろうという動きも今より加速(個人的には反対)

また好景気になったからといって就職氷河期にちゃんとした職につけず工場などで働いている人が正社員のビジネスマンになるのは難しく、非正規のまま、それでも賃金自体はあがるイメージ。

・・・・・・・それが前半。

ただ労働者有利はいつまで続くかは分からない。AIやロボット技術が進むからだ。それらの技術は最初は人間の補助的に使われる。営業する時のアシスタント。医師の診断の道具など。しかし徐々に『そもそも人間なしでもいいのでは?』ってことで人間の仕事を奪っていく。為替ディーラーなどの仕事など既にAIに置き換わっているように。Amazonの倉庫作業のようにロボットでの全自動化。スーパー・コンビニなどの無人化も進んでくると思う。民間の商行為においてはロボットやAIの高性能化およびそれ応じてコスパが上がると、人間を使わずに代替することは自然なこと。

ただしAIの専門家が予測するように会計士や医師などの専門職がどこまで奪われるかは、論理的にはかなり代替できたとしても現実的には急速には進まないと思う。それはその業界の人達が強く抵抗するからだ。

イメージとしては歯科技工士の仕事が3Dプリンターの技術進歩で不要になったとしても、それを医師から3Dプリンターで義歯を用意する会社に直接発注できるようなシステムに出来るかは微妙で、そういう会社には歯科技工士が所属しなければならないといった決まりを残し存続し続けようとするだろう。


そんなワケで、後半はロボットやAI技術によって労働者は仕事を失っていく。問題は『それを補う新産業が出てくるかどうか?』だ。僕はやや悲観的に見ている。最初の産業革命ではドンドンと新産業が出てきた。でもITなどの産業の場合は『多くの労働者ではなく少しの優秀な人材』が活躍している。それだけではなく『ITの発達は新産業を生み出すと共に旧産業を合理化し儲からなくする』って側面があるから。

僕はその傾向はAIやロボットの発達でも言えると思っていて、新たな産業は出てくるが、既存の産業を省力化し労働者を減らすって方が大きいと思う。


残されていくのは、ロボットに代替させるのに効率の悪い複雑な分野(介護とか)と、人間が直接かかわることの意味が大きな仕事(保育などの接客業とか) なのかなって思う。ただそれらは対人コミュニケーション能力が高いか、面倒くさい低賃金かのどちらかだと思う。

なので最終的に2030年頃には、格差は広がり、ロボットなどを開発できる優秀な技術者。経営者。投資家などの収入や資産は増えると思うが、一般労働者は良くなった上で頭打ち。業種などによってはロボットに職を奪われ失業者がドンドン増える可能性もあると思う。

人手不足っていう労働者にとってのプラス要因を、ロボットというマイナス要因がいつ追い抜くか??なのかなって予想している。


2に続く。

貧困系のNPOの共感できないところ。

僕はどちらかというと『格差拡大を抑制すべき』だと考えている。所得税も相続税も今より累進性がキツくてもいいと思っているし、できることなら資産税のようなものがあればいいとも思っている。

現実的にどの程度のことならお金持ちの海外逃避を抑えつつ実現できるのかは分からないが、それらで財源が増えたら貧困対策や教育への投資などに使っていくべきだと考えている。


さて日本にも経済格差を問題視して活動しているNPOが数多く存在してる。ある団体は最低賃金上昇を目指しデモをしているかもしれないし、別の団体はカンパを募ったり補助金などを財源として貧しい人達に食事提供などをしている。

 

それ自体は善意によるものだろうとも思うし、活動自体は尊いものだと思っている。ただし『貧乏人を救うべき弱者』としてしか捉えていない節がチラホラ見えてきて、そこがイマイチ共感できない。



◆共感できない理由1:どこまで実態を伝えているのか分からない。

 
NPO団体の記事はこんな感じ。『シングルマザー(仮にA子さん)の切情を紹介する。その人がいかに節約をしてたくさん働き、それでも生活が苦しいかを伝え・・・・支援を訴える』・・・僕はそれを見て共感する人も支援する人もいるとは思う。でも、それだけを見て、その人が『健気に努力しているが生活している弱者』だとは判断しかねる。


例えばここに実家ぐらしでギャンブル好きで借金があり酒やタバコなど浪費も激しい若者(仮にB君)がいたとして、所得が低いということで『貧困の支援でお金などをくれる団体』が実情を調査しにきたとしよう。

『A君はどこまで本当の事を言うだろうか?』

(公的機関で捜査権限があれば違うかもしれないが) ギャンブルは内緒に。酒やタバコは過小深刻し、ブラック企業に勤めていたとか、会社をクビになったとか、自分に都合の良いことを言ったりしないだろうか。僕は動機としては十分にありえると思う。

現場に関わっているほどに貧困状態にある人の中に『その人が原因を作っている(自業自得的な)』ケースはチラホラ見えてくるはずだ。約束の時間に来なかったりとか誠実さに欠けるとか、そういった人をみて『クビになったのは会社のせい』だと思えないこともあるだろう。

でも財源を寄付などに頼るNPO団体は、そういう実態は極力みえないようにする。同じ貧乏人でも『ろくでなしの弱者』を支援したいという人は少ないからだ。できれば支援を受ける対象のイメージは『運悪く貧困状態に陥り本人は出来る限りの努力をしているが抜け出せない健気な人』であって欲しいと思うのが自然だ。

途上国のストリートチルドレンの支援にしても、ポスターで使われるのはカワイイ女ん子だったりする。決して旅行者を集団で囲って強盗をする歯の抜けたブサイクではない。僕はイメージ戦略自体はあるていどは仕方がないと思っている。またそれ自体は戦略上有効なのですべきだとすら思っている。


ただし、そればかりが前面にでて、ネガティブな所がまったく見られないと僕の中でリアリティーがグッと下がってしまう。逆に貧困支援でも一筋縄でいかないことを示しつつもがいている部分を見せる団体の方が僕は共感できる。

 

◆共感できない理由2:公助に偏っている気がする。

さきほど出したA子さん。本人は頑張っているのかもしれない。でもその努力の方向性は合っているのだろうか。子供が小学生で母親がガッツリ働いていて支援が必要なほど日本の賃金は低くないのでは??と思っている。もちろん高校に行くとか大学に行くとかになれば授業料などかかるので理解できるのだが、小学生の段階では授業料もかからないし、食費もそんなにかからないはず。

僕はもともと家計のやりくりが苦手なことが原因として大きいように思えてならないA子さんについては断言はしないが、一般的には『貯金が全然たまらないタイプ』というのはそこそこいる。本人は節約しているつもりなのだが貯金できるタイプの人から見れば『何でそれ買うかなぁ・・・』って点がいろいろある感じ。

僕はそのNPOの記事を見て『節約のアドバイス』とか自助努力をサポートする方向って重要なんじゃないかなって感じた。

僕は貧困を国が救うこと自体には賛成している。

ただし『自助・共助・公助』という3つのバランスが大事だとも思っている。日本は世間的な常識にしばられて、貧乏にもかかわらず昔の貧乏人から見れば贅沢すぎるような生活をして『国が悪い。世間が悪い。助けてくれ!』というタイプがまぁまぁ多いように思う。

僕が住んでいるのが途上国で、たまにレストランで食事してますが貧困ですって日本の相対的貧困ではなく、もっと過酷な絶対的な貧困を見てきているだけに一般人より見る目が厳しい(すぎる??)のかもしれないが、ここでは子供を田舎の実家に預け親は首都や海外に出稼ぎってケースはざらにある。

そして途上国でセーフティーネットになっているのは『ファミリーのつながり』が大きいと思う。日本で困窮している人達の中には家族と不仲だったり、職場や友達との関係が上手くいっていない人もいると思う。

実のところ貧困を抜ける為の1つの要素(というか方法)がコミュニケーション能力だと思う。実家の両親に子育てを手伝ってもらうとか、困窮しているシングルマザーがいたら同じような境遇のシングルマザーと共同生活するとか、簡単だとは思わないが出来れば大きな力になるだろうと思う。

でも、そういったことを実践しようとする人はけっこう少ないと思う。プライバシーのある個室になれた現代人にとって他人と暮らすことはストレス要因だろうとも思う。が、結局のところ貧困をぬけ出すことや、金持ちになることって、どれだけ割り切って利を取るかってことだと僕は思ったりする。

その覚悟と行動がなく、自助努力なく公助を頼るようになると、そのマインドも子供に受け継がれていくと思う。国に頼るなって言っているんじゃなくて、自助努力も大切でけっこうやれることはある。それを探すべきだという話。


◆最後に

厳しいことも言ったがNPO団体などで活動している人達と基本的には応援している。理想と現実のギャップに悩むのは行動している人の勲章でもある。できれば苦悩も『自己満足になってやしないか』とかはたまに考えていってもらいたいと思う。まぁある程度は自己満足もありだと思うが。

喫煙空間についての私案

世間では『屋内全面禁煙』といった議論がされている。僕自身は非喫煙者ではあるのだが『愛煙家と嫌煙家』の対立は感情的になることが多く少し残念に思っている。できれば『どうすればお互いに歩み寄れる社会』を実現できるのか・・・って建設的な議論がされて欲しいと思っている。

そんなワケで『喫煙空間についての私案』というのを考えてみた。


まず愛煙家としては『吸える場所が減って困る』ってあると思う。逆に嫌煙家の視点に立ってみると『1タバコの臭いが嫌(服につく)=【不快】』や『2:タバコの煙(副流煙)が体に悪い【健康被害】』あとは『3:タバコが医療費に与える影響【財政問題】』などがあると思う。3については以前にブログで書いてみた。

hase29.hatenablog.com

1と2は微妙にリンクしている。嫌だから健康被害をことさら強調し完全禁煙を実現しようとしている人達も少なからずいるように思う。例えば『副流煙で年15000人が死んでいる』といった推計は嫌煙という視点で書かれていることが多く、濃度などが軽視されている。

同じ副流煙でも『煙モクモクの雀荘にずっといる』のと『誰かがタバコを吸っていた残り香がする』といったのでは全然違うと思う。危険度を分析する上で『濃度も重要』だってことは科学をかじったことがある人なら納得してくれると思う。

まぁ、とはいえ出来るだけタバコの煙を避けられるに越したことないのですが。



そこで私案です。

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飲食店を『禁煙店(a)・分煙店(b)・喫煙店(c)』にワケて表示を徹底させる。まず外から見て分かることが大事。バランスとしては(a)が4割、(b)が5割、(c)が1割くらいがいいかも。どうやって分けるかというとまず小さな居酒屋など(c)を選択できるようにする。レストランなどは原則として(a)としつつ大型店など設備を整えるなどの条件を満たせば(b)も選択できるようにする

次に分煙店だが、現在の分煙より1歩すすめる。いまは空間だけワケて隣り合っていたりして煙が流れてきたりする。それを基準をつくり「◯m以上離す」ということだけでなく『換気扇や空気清浄機を設置し喫煙エリアでもタバコの濃度を一定以下にする』

『焼肉屋が無煙ロースターを使っているようなイメージ』

(c)について補足説明しておくと小規模の居酒屋でも全面禁煙を強いられるとお客が減る可能性は少なからずあると思う。もともと外食する人にとっては『全面禁煙の店のみ』になった場合には選択の余地がないのだろうが、居酒屋の場合は『タバコが吸えないなら家呑みする』って人も出てくるだろうから。
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一方で『いまの屋外禁煙の議論』というのは屋外での煙についてあまり議論されていない気がする。例えば屋外に『喫煙可能エリア』があってもそこが通りに面していて喫煙している人が多ければ『けっこう迷惑』だったりする。例えば大型レストランをそのまま全面禁煙にしてしまうと出入り口付近で複数の人がタバコを吸い通る人が被害にあう可能性がある。

なので屋外についても禁煙店であっても一定規模のところは出入り口から少し横にそれた場所に喫煙スペースを設けるべきだと思う。


そして飲食店など改装や空気清浄機の購入などに政府が補助金を出せばいいと思う。財源はタバコ税でいいと思う。


以上が僕の私案なのだが、もちろん嫌煙家にとって不十分な内容だとは思う。ただタバコに限らず臭いにしても煙にしても、体臭や香水あるいは排気ガスなど少しのことは許容してあげられる社会であって欲しいと僕は思っている。


P.S. 『タバコは百害あって一利なし』なんて言われてもいるが、タバコでストレス解消できている人はいると思う。ストレスが体に良くないだろうから『一利にはなっている』と僕は思う。



人物評008:西村博之

ネットをよくする人で知らない人はいないのじゃないか。巨大掲示板2chを作った『ひろゆき』さんです。

この人の『頭が良さ』は有名なのですが中でも『常識にとらわれない自由な発想』と『論理的で普通の人にも分かりやすく話せる』って部分が支持されているのだと思います。ネットでも『論破』って言葉が名前と一緒に検索させるくらい議論は強いのですが僕としては『議論モードの時(G)』より『まったりと話をしている時(M)』の方が好きですね。

(M)の時は無理に相手をやり込める必要がないので『へぇ~そうなんだ』といった風に流すこともあるし『敵を作らずに話ができる人』だと思います。ただし1人でネット住民のメッセージと対話している時は『割に適当な事(詭弁)を言って素人を納得させて遊んでいる』フシもあるように思う。



『頭が凄く良い人』っていうのは往々にして世間をバカにしがちで、強さを誇示し相手を言い負かせてしまいがちなのですが、僕が見る限り博之さんは昔より丸くなったように思います。例えるなら『論理で勝っても嫌われる』のは損だと経験から学んだように思います。『オンナは苦手』っていうのはそのひとつの現れかと。

それとそれなりにお金持ちになってから長いと思うので『儲けへの固執(A)』も減ってきているような気がします。会社を経営したりしていると(A)は必要なことなのですが、騙されたり揉めたりする経験から『揉めるなら少しくらいお金を失ってでも退いた方が得』といった損得勘定が生まれやすいのかなって気がします。

『金持ちケンカせず』みたいな感じ。



彼の頭の良さや裕福さは知名度など僕と比べものになりませんが、価値観としては近いモノも感じています。例えば『金銭感覚と幸福について』・・・僕もあまり使わなくても平気なタイプです。お金持ちになって高級車に乗りたいとも思いませんしお金で幸せは買えないと思います(幸せであるかはお金以外の要素が大きいという意味)


知的好奇心が強い部分から海外で旅をするのが好きって点も似ている。彼に聞いたワケじゃないが『大学での寮生活が割と好き』って言ってたことを考えると『(ホテルもいいが)ゲストハウスで他の旅人と話すのも好き』なんじゃないかな??って思う。


堀江貴文さんとの対談も面白い。天才的な2人。でもタイプの違い考え方の違いがみれる。もっと色んな人と対談して欲しい。博之さん自身は『自らこの人と対談すれば番組が面白い』といったことを積極的にするタイプではないと思うので、周囲がアレンジしてくれないかなぁ〜って思う。

大前研一さんとか苫米地英人さんとか違った天才タイプとの対談が見てみたい。それもテレビでは本音が言いにくいと思うからネット番組の方がベター。酒でも飲みながらまったり話しているだけでも『そこに気づきがあったりする』・・・番組が成立する凄い資質だと思う。


 

 

ホリエモン×ひろゆき 語りつくした本音の12時間 「なんかヘンだよね・・・」

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オンナは苦手。

オンナは苦手。

 

 

精神科&心療内科の待合室

たまに僕はヤフー知恵袋で人の悩みにアドバイスをしてる。僕自身は悩んだ事は人並みにあるものの精神科や心療内科を受診したことはない。

さきほど読書をしていてその中に『心療内科での待合室の雰囲気に耐えられない』という経験者の話が出ていた。精神疾患は軽い内に受診しておく方がいいとは言うもののいざ病院にいくと『周囲は顔色の悪い人ばかり』・・・『自分も同じなのだと思うと凹む』のだそうだ。

それはわかる気がする。医者は来る人の病気だけでなくそういった部分に配慮すべきだと思った。開業する医師は今までの流れや常識で開業する。患者側の立場に立って環境もかえていくべきだと思う。


僕は美容整形に行ったことがある。好奇心も半分あって、メソセラピーなどを受けた事がある。その時のプライバシーへの配慮は徹底していたのを思い出す。

基本的に予約制。受付を済ますと、パテーションで仕切られた場所で待つ。そういう場所が複数あるみたい。来院する人は他の来院者と顔をあわせることがほとんどない。そこは美容整形をする場所なので人に会いたくないだろうから合理的だと思った。


心療内科でもそういった工夫は出来ると思う。

予算的に個室を増やすことは難しくても、例えばモールの中に出店して、受付後はポケベルのようなモノを渡すなど、自分の順番が近づいたらメールが入るとか。EメールでもLINEでもいい。


精神科と違い心療内科なら奇声を発するとかいう人はほとんどいないとは思うが、初めていく人にとっては『周囲の目があること』それ自体が通院するハードルをあげてしまうように思う。

『知っている人に会わないだろうか?』とか。精神的にナイーブになっている人は普通の人以上にそういうのは気になると思う。そもそも『そんな事を気にするな!』と言われて気にせずにいられるタイプは『心を病みにくい』と思うから。


なので心療内科は(病人相手ではなく保険も聞かない)美容整形外科を見習って待合室を変えていくべきだと思った。もちろん科に関係なく工夫の余地はあると思う。