伍流の思考

- ごりゅうのしこう -

喫煙空間についての私案

世間では『屋内全面禁煙』といった議論がされている。僕自身は非喫煙者ではあるのだが『愛煙家と嫌煙家』の対立は感情的になることが多く少し残念に思っている。できれば『どうすればお互いに歩み寄れる社会』を実現できるのか・・・って建設的な議論がされて欲しいと思っている。

そんなワケで『喫煙空間についての私案』というのを考えてみた。


まず愛煙家としては『吸える場所が減って困る』ってあると思う。逆に嫌煙家の視点に立ってみると『1タバコの臭いが嫌(服につく)=【不快】』や『2:タバコの煙(副流煙)が体に悪い【健康被害】』あとは『3:タバコが医療費に与える影響【財政問題】』などがあると思う。3については以前にブログで書いてみた。

hase29.hatenablog.com

1と2は微妙にリンクしている。嫌だから健康被害をことさら強調し完全禁煙を実現しようとしている人達も少なからずいるように思う。例えば『副流煙で年15000人が死んでいる』といった推計は嫌煙という視点で書かれていることが多く、濃度などが軽視されている。

同じ副流煙でも『煙モクモクの雀荘にずっといる』のと『誰かがタバコを吸っていた残り香がする』といったのでは全然違うと思う。危険度を分析する上で『濃度も重要』だってことは科学をかじったことがある人なら納得してくれると思う。

まぁ、とはいえ出来るだけタバコの煙を避けられるに越したことないのですが。



そこで私案です。

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飲食店を『禁煙店(a)・分煙店(b)・喫煙店(c)』にワケて表示を徹底させる。まず外から見て分かることが大事。バランスとしては(a)が4割、(b)が5割、(c)が1割くらいがいいかも。どうやって分けるかというとまず小さな居酒屋など(c)を選択できるようにする。レストランなどは原則として(a)としつつ大型店など設備を整えるなどの条件を満たせば(b)も選択できるようにする

次に分煙店だが、現在の分煙より1歩すすめる。いまは空間だけワケて隣り合っていたりして煙が流れてきたりする。それを基準をつくり「◯m以上離す」ということだけでなく『換気扇や空気清浄機を設置し喫煙エリアでもタバコの濃度を一定以下にする』

『焼肉屋が無煙ロースターを使っているようなイメージ』

(c)について補足説明しておくと小規模の居酒屋でも全面禁煙を強いられるとお客が減る可能性は少なからずあると思う。もともと外食する人にとっては『全面禁煙の店のみ』になった場合には選択の余地がないのだろうが、居酒屋の場合は『タバコが吸えないなら家呑みする』って人も出てくるだろうから。
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一方で『いまの屋外禁煙の議論』というのは屋外での煙についてあまり議論されていない気がする。例えば屋外に『喫煙可能エリア』があってもそこが通りに面していて喫煙している人が多ければ『けっこう迷惑』だったりする。例えば大型レストランをそのまま全面禁煙にしてしまうと出入り口付近で複数の人がタバコを吸い通る人が被害にあう可能性がある。

なので屋外についても禁煙店であっても一定規模のところは出入り口から少し横にそれた場所に喫煙スペースを設けるべきだと思う。


そして飲食店など改装や空気清浄機の購入などに政府が補助金を出せばいいと思う。財源はタバコ税でいいと思う。


以上が僕の私案なのだが、もちろん嫌煙家にとって不十分な内容だとは思う。ただタバコに限らず臭いにしても煙にしても、体臭や香水あるいは排気ガスなど少しのことは許容してあげられる社会であって欲しいと僕は思っている。


P.S. 『タバコは百害あって一利なし』なんて言われてもいるが、タバコでストレス解消できている人はいると思う。ストレスが体に良くないだろうから『一利にはなっている』と僕は思う。



人物評008:西村博之

ネットをよくする人で知らない人はいないのじゃないか。巨大掲示板2chを作った『ひろゆき』さんです。

この人の『頭が良さ』は有名なのですが中でも『常識にとらわれない自由な発想』と『論理的で普通の人にも分かりやすく話せる』って部分が支持されているのだと思います。ネットでも『論破』って言葉が名前と一緒に検索させるくらい議論は強いのですが僕としては『議論モードの時(G)』より『まったりと話をしている時(M)』の方が好きですね。

(M)の時は無理に相手をやり込める必要がないので『へぇ~そうなんだ』といった風に流すこともあるし『敵を作らずに話ができる人』だと思います。ただし1人でネット住民のメッセージと対話している時は『割に適当な事(詭弁)を言って素人を納得させて遊んでいる』フシもあるように思う。



『頭が凄く良い人』っていうのは往々にして世間をバカにしがちで、強さを誇示し相手を言い負かせてしまいがちなのですが、僕が見る限り博之さんは昔より丸くなったように思います。例えるなら『論理で勝っても嫌われる』のは損だと経験から学んだように思います。『オンナは苦手』っていうのはそのひとつの現れかと。

それとそれなりにお金持ちになってから長いと思うので『儲けへの固執(A)』も減ってきているような気がします。会社を経営したりしていると(A)は必要なことなのですが、騙されたり揉めたりする経験から『揉めるなら少しくらいお金を失ってでも退いた方が得』といった損得勘定が生まれやすいのかなって気がします。

『金持ちケンカせず』みたいな感じ。



彼の頭の良さや裕福さは知名度など僕と比べものになりませんが、価値観としては近いモノも感じています。例えば『金銭感覚と幸福について』・・・僕もあまり使わなくても平気なタイプです。お金持ちになって高級車に乗りたいとも思いませんしお金で幸せは買えないと思います(幸せであるかはお金以外の要素が大きいという意味)


知的好奇心が強い部分から海外で旅をするのが好きって点も似ている。彼に聞いたワケじゃないが『大学での寮生活が割と好き』って言ってたことを考えると『(ホテルもいいが)ゲストハウスで他の旅人と話すのも好き』なんじゃないかな??って思う。


堀江貴文さんとの対談も面白い。天才的な2人。でもタイプの違い考え方の違いがみれる。もっと色んな人と対談して欲しい。博之さん自身は『自らこの人と対談すれば番組が面白い』といったことを積極的にするタイプではないと思うので、周囲がアレンジしてくれないかなぁ〜って思う。

大前研一さんとか苫米地英人さんとか違った天才タイプとの対談が見てみたい。それもテレビでは本音が言いにくいと思うからネット番組の方がベター。酒でも飲みながらまったり話しているだけでも『そこに気づきがあったりする』・・・番組が成立する凄い資質だと思う。


 

 

ホリエモン×ひろゆき 語りつくした本音の12時間 「なんかヘンだよね・・・」

ホリエモン×ひろゆき 語りつくした本音の12時間 「なんかヘンだよね・・・」

 

  

オンナは苦手。

オンナは苦手。

 

 

精神科&心療内科の待合室

たまに僕はヤフー知恵袋で人の悩みにアドバイスをしてる。僕自身は悩んだ事は人並みにあるものの精神科や心療内科を受診したことはない。

さきほど読書をしていてその中に『心療内科での待合室の雰囲気に耐えられない』という経験者の話が出ていた。精神疾患は軽い内に受診しておく方がいいとは言うもののいざ病院にいくと『周囲は顔色の悪い人ばかり』・・・『自分も同じなのだと思うと凹む』のだそうだ。

それはわかる気がする。医者は来る人の病気だけでなくそういった部分に配慮すべきだと思った。開業する医師は今までの流れや常識で開業する。患者側の立場に立って環境もかえていくべきだと思う。


僕は美容整形に行ったことがある。好奇心も半分あって、メソセラピーなどを受けた事がある。その時のプライバシーへの配慮は徹底していたのを思い出す。

基本的に予約制。受付を済ますと、パテーションで仕切られた場所で待つ。そういう場所が複数あるみたい。来院する人は他の来院者と顔をあわせることがほとんどない。そこは美容整形をする場所なので人に会いたくないだろうから合理的だと思った。


心療内科でもそういった工夫は出来ると思う。

予算的に個室を増やすことは難しくても、例えばモールの中に出店して、受付後はポケベルのようなモノを渡すなど、自分の順番が近づいたらメールが入るとか。EメールでもLINEでもいい。


精神科と違い心療内科なら奇声を発するとかいう人はほとんどいないとは思うが、初めていく人にとっては『周囲の目があること』それ自体が通院するハードルをあげてしまうように思う。

『知っている人に会わないだろうか?』とか。精神的にナイーブになっている人は普通の人以上にそういうのは気になると思う。そもそも『そんな事を気にするな!』と言われて気にせずにいられるタイプは『心を病みにくい』と思うから。


なので心療内科は(病人相手ではなく保険も聞かない)美容整形外科を見習って待合室を変えていくべきだと思った。もちろん科に関係なく工夫の余地はあると思う。

"新" 血液センター構想

日本にいる頃、僕は献血を何度かしたことがあります。赤十字血液センターでは『有名なタレントを使って献血を呼びかけていた』が、それより壁に貼りだされていた患者さんからのメッセージ『献血をしてくれた人ありがとう』的なものに心を動かされたことが印象に残っています。


血液センターでどんなことが行われているかと(献血側の視点で)いうとこんな感じ。『問診があって採血があってジュースが飲めてグッズがもらえて後で血液検査の結果が届く』

その中には『血液検査』が含まれています。献血すると無料で血液検査をしてくれます。今回は新血液センターの話(私案)ですが、そこでは『逆』です。

『無料で血液検査が出来る機関を作り(そこで希望者は献血もできる)』

という方式です。


というのは3つの理由があります。

 

◆理由1:献血を目的にするより、健康診断を定期的にするルーティーンの中に献血を組み込んだ方が『効率的に血が集まる』と思う事。

◆理由2:血液検査のような基本的な検査は『もっと気軽に受けられるようにすることで予防医学に力を入れるべきだ』という事。


例えばこんな感じ。全国の市町村で血液検査センターを設置。そこでは年4回までの血液検査は無料。5回以上も格安で出来る。その内1回は、空腹時血糖だけでなくブドウ糖を摂取して30分後、1時間後、2時間後の血糖値上昇を検査できる(それにより血糖値スパイクがあるかを見られる)、更に自分ではかる体重計、身長計、血圧計などが設置されている。尿検査は試薬に尿を自分でかけるセルフスタイル(血糖・潜血・尿蛋白・PH)・血液検査の結果はその場で受け取れ※1、疑われる病気やどういう何課の病院に行けばいいのか、病院のリストやマップもわかる。

※1:機器を設置すれば可能はなはず。

また今の時代は通販で血液検査ができる時代。血液検査センターに看護師自体は必要ないのかもしれない。

更に技術が進めば血液の情報から『もっと多くの事がわかるようになるだろう』・・・・◯◯抗体が多いから・・・◯◯病の疑いあり。とか。何度も受けて履歴を残すことで『クレアチニンが少し高め』って時にそういう体質なのか、少しずつ上昇傾向にあるのか。AIなどの情報を組み合わせれば、機械に目を見せて『眼病の発見』とかも・・・。


僕は町村レベルでは基本的な項目だけでいいと思っている。市レベルではより高度な機器。県レベルでは更に高度な機器を設置して欲しいと思う。


国によっては病院と検査機関が分かれていたりする。病院からの指示でレントゲンを受けられる所に行く(そこは独立してる)といった具合。今は病院で採血をしてそこから血液検査をしてくれるところに送る感じなので、どうしても割高になる。基本的な検査は専門機関をもうけて特化させるべきだと僕は考える。


やや楽観的かもしれないが・・・

◆効果1:それにより病院での負担が減る。

◆効果2:検査をする人や回数が増え病気が早期発見できる。
◆効果3:献血の総量がかなり増える。
◆効果4:非効率な赤十字血液センターを縮小できる。


技術が進み・・・専門家でなくても出来る事っていうのはこれからもドンドン増えていきます。雑誌を作る時に昔は写植という仕事があったようです。今はDTPに置き換わっています。MRIやCTの画像も『医師よりAIの方が優秀』って日は近いと思います。それらの技術をどう活用し、どう共存するかはもっと議論されて欲しいと思います。


患者自身が透析をする案

医療財政が逼迫していると言われる。

その中でも費用が年500万円とも言われる人工透析患者が槍玉にあがることがある。長谷川豊さんの記事が話題になりましたね。僕はこれからの医療は『予防医療・基礎医療を重視して、高度・高齢医療をあるていど諦める必要がある』と考えていますが、それはまたいずれ書くとして、今回は『人工透析の費用』について私案を書きたいと思う。


まずこの記事をみてもらいたい。

www.pepsinogen.blog


1回にかかる費用がだいたい25000円。そのうち医療報酬が16000円とあります。ブログの著者は予防の大切さや技術の向上によるコスト削減をすべきだと提言しています。


それには僕も同意します。その上で僕は今回のタイトル『患者自身が透析をする案』というものの可能性を考えてみたいと思う。


というのは常識をいったん外して効率を考えると、報酬の内で『看護師の人件費』が割に大きいと思ったこと。また次のサイトを見る限り、『看護師でないとダメという業務は本当は少ない』からです。

kango4job.com

 

上のサイトによると、透析科の看護師は『最初覚えることは多いがほとんどは機械がするので実際には腕に針をさす程度』とあります。またこうも言っています。『医療面でのスキルはそれほど必要ない』とあります。

僕はこれは『看護師が資格として業務を独占しているから』コスト高になっているとみています。

 

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では透析患者の方はどうでしょうか。

年配も多いとありますが基本的には透析は受けているが『それ以外は働いたりできる人達』も少なくないと思っています。そういう人達が透析が終わるまで何もせず看護師にされるがままサービスを一方的に受けている状態がもったいないと僕は思います。

それも同じことを年100回くらいする。何年も何年も・・・。それなら患者の中で自分で出来る部分は自分でしてもらえばいい。仮に透析患者のうち1/3人が(初級資格を取り)自分で出来るようになればその分だけ看護師の負担が減ります。もし透析患者のうち1/30人が(上級資格を取り)他の透析患者の処置が出来るようになれば更に負担は減るでしょう。

僕は現場の看護師をなくすべきだとは思いませんが、3人いるところなら1人に減らすことは目指してもいいと思います。上に『初級資格・上級資格』と書きましたがもう少し言うとこんなイメージ。


A:透析初級資格

腎臓病と透析の基礎知識があり、人工透析の操作を覚えたものは『自分自身の透析業務』をすることが出来る。具体的な業務をどこまで許可するのかは専門家が議論してもらえればいい。

B:透析上級資格

腎臓病と透析の知識があり、人工透析の操作およびトラブルの対処法など覚えたものは『自分自身だけでなく同じ病院内の他の透析患者の操作を手伝うことができる』・・・

※ABに共通するのはただし業務については看護師や医師の指示に従う。


ただしAは易し目でいいと思うが、Bについては基準を厳しくしてもいい。またBについては病院側が拒否できる権限を与えた方がいいとも思う(能力だけでなくコミュニケーションの問題などがある場合)


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僕はこれを考えた1つのキッカケが『若くして人工透析が必要になった人』・・・そんな人がずっと患者としての立場でいるのはもったいない。患者をしつつも治療側にもまわれれば社会貢献できる。と思ったからです。


僕は医療の知識がありません。トンチンカンなことを言っているのかもしれません。ですが、そういった視点は『余裕のない医療財政』の今は持つ必要があるのでは??と考えています。

また透析も注射も毎回するのではなく、管を通したらあとはキャップを外して機械につないでバルブをヒネるだけ・・・みたいな方向では出来ないものか??とも素人ながら思います。ただこういった事は『出来るか出来ないか?』ということ以前に『医療機器メーカーにとって儲かるかどうか?』って基準をクリアしないとなかなか実現しないと思う。

血糖値が簡単にはかれる計測器は『実は安く売られているが患者が自分自身で計測するような制度にはなっていない』って事ととかみててもそう思います。

仮に『人工透析をコンパクトにして自宅で自分で出来るような機器』を開発してしまったらそのメーカーは病院から睨まれるでしょう。何百万円あるいは何千万円と投資したものが技術革新で価値が激減することは世の中にはよくありますが、そういうのには相当な抵抗があるものですから。